JCO有識者からの投稿:公共医療への不信

 Mさん(74)は秋田でコンクリート製品会社を経営している大先輩だ。会社を一代で作り上げた成功者である。ただし息子さんは出来すぎて財務省のキャリアになってしまったので跡継ぎは部下にした。

 そのMさんが数年前、私の白内障手術の成功を知って、自分も受けたいと考え、大学病院に行ったら、断られた。「あなたの目(どちらだったか失念)には角膜に傷がついております。このケースでは白内障の手術はできません」と無碍に断られた。視力は0.2に低下していた。

 ところが私のかかった眼科医は「そんなことはありませんよ」と言う。昔、大組織を誇った船員保険会の病院である。「それなら秋田からつれて来ても宜しいでしょうか」「いいですよ」となって、Mさんは上京し、無事、手術を終えた。2日後、視力はなんと1.2に回復していた。

 一体、秋田の大学病院の眼科とは何なんだ。東京で出来る事が秋田の大学では出来ないとは、何なんだ。施設の問題ではない、技術が無いのだ。聞けば親大学から眼科医はさながら日替わりのようにして別の医師が派遣されて来ているらしい。まるで秋田県民を医療の練習台とでも考えて居るのだろうか。

 白内障の手術なんて、昔は大変だったらしいが、今は極端に言えば、片目なら日帰りでも出来るように進歩した。しかも都会にいる若い医者が出来る角膜障害でもやれる手術を大学病院の医師は出来ないとは、信じがたい話ではないか。或いは怠慢ではなかったのか。

 いずれにしろ、幾ら地方の時代などと誰が叫んでも、地方に住んでいる日本国民は、少なくとも医療の面で差別を受けている事は確かだ。

 別の話。私の義姉(58)が今年2004年1月11日の夜、東京隣県の県庁所在地のマンションでソファーに座ったまま冷たくなっている所を、帰宅した息子が発見した。

 息子は救急車を呼び、義姉は県立救急救命センターに運ばれたが、死後既に9時間が経過していた。警察が呼ばれた。誰もいないところでの不審死だからである。

 当直医は中年の女性だった。先生、死因は何でしょうか。「わかりません、CTで透視すれば判るのですが」「是非、やってみてください」「え、それがCTは故障中で使えません」「?」。

 救急救命センターでCTが故障していたら、助かるものも助からない事だって起きるのではないか。県営のセンターがこれではおかしいのではないか、県の管理責任を問わなければならない。

 だが厚生省の偉いさんだった友人があっさり種明かしをしてくれた。県営の救急救命センターといえども、運営は地元大学医学部の付属病院に任されていて、人事権からなにから大学に握られ、県は何にも口出し出来ない。

 一方、大学の立場からすると、県の救急救命センターなんて医療の末端だから、その運営に上層部はさして関心を払っていない。派遣する医師もインターンまがいの人物を出すことが多い。CTの故障なんて知った事か。

 なるほど、救急救命センターの運営がいい加減になる理由がわかった。

 だとすると、全国各地でも同じような事が起きているのではないか。家族は公立のセンターなら間違いないと信じて患者を運び込むのが普通ではないだろうか。しかし、実情は全く逆なのだ。

 義姉は結局「死因不明」で埋葬許可が下りた。死んだ現場の状況からすると、どこかへソファーに座りながら電話をしていた。その時に心臓か脳かに異常が起きた。受話器を取り落として事切れた。相手が誰だったのか、調べれば判る事だろうが、今更どうでも良いことだ。

 「どうしても死因をと言うなら解剖します」「解剖すればわかるのですか」「解剖してもわからないことがあります」。息子もそれで「切れた」。玄関のカギは閉まっていたことだから」警察も犯罪性は無い、として「処理」した。

 世界の先進国総てがこうだろうか。地方に居ては病気にもなれない,都会に居ては死ぬ事も簡単ではない。大いなる問題を含んでいる。

2004.03.23